どんなに気の毒であったとしても「自殺」に同情したり肯定してはいけない。自殺に正当性は皆無だ。

■松本人志「【死んだら負け】をオレは言い続けるよ」■

2018年10月17日10時36分 – 日刊スポーツ

ダウンタウンの松本人志(55)が、アイドルが自殺した問題で「死んだら負け」と発言したことについて、あらためて「オレは言い続けるよ」と宣言した。

14日放送のフジテレビ系「ワイドナショー」は、愛媛県を拠点に活動する農業アイドル「愛の葉Girls」のメンバーだった大本萌景さん(16=当時)が、所属会社「Hプロジェクト」のパワハラや過酷な労働環境で精神的に追い詰められたことが原因で自殺したとされる問題を取り上げた。

松本は「自殺者が出てこういうニュースをあつかう時に、なかなか亡くなった人を責めづらい、責めれないよね。ついついかばってしまいがちなんだけど、僕はやっぱり『死んだら負けや』っていうことをもっとみんなが言わないと。死んだらみんながかばってくれるっていうこの風潮がすごく嫌なんです」と持論を展開していた。

この発言はネット上で賛否を呼んだが、松本は17日更新のツイッターで「自殺する子供をひとりでも減らすため【死んだら負け】をオレは言い続けるよ。。。」とコメントした。


ほんこれ。まじでこれ。

この事件については、会社側に対してものすごく憤りも覚えたし、亡くなったアイドルの女の子は本当に気の毒だと思う。親御さんが提訴するのも当然の話だし、むしろ脅迫等で刑事責任を追求したっていいくらいだとさえ言える。

でもね、やっぱりどんな理由があろうとも自殺なんてしたらだめなんだよ。全部が無駄になるから。

今まで積み上げてきた努力も。育ててくれた親がこれまでに注いできてくれた時間とお金と愛情も。なにもかもを肉体と共にかなぐり捨てるってことだからね。お前はそれで良くても、周りが良くねーんだよって話なんだよ。

最近あまり名前を聞かなくなった「叫ぶ詩人の会」の「ドリアン助川」は、昔なにかのTV番組で、「自殺を批判する人は、自殺=逃げだというようなことを言うけど、逃げ続けてその逃げ場所がなくなったやつが最終的に自殺するんだ。だから自殺=逃げではない」というような趣旨のことを、自殺擁護のようなスタンスで語っていたのを覚えている。

だがぼくは、それだけは絶対違うと断言する。

リアルに監禁されているとか、身体的に拘束されているような状況でもない限り、生きていれば必ず「自殺以外の」逃げ場所や手段が存在するはずだ。

「逃げ場所が無くなっている」んじゃない。逃げることを諦めただけだ。

自殺したこの彼女も、結局は「逃げることで家族とか皆に迷惑をかけちゃう」という考えだったんだろうが、その無駄に責任感の強すぎる生真面目な発想は、生来のものというよりは、「そのように躾けられてきた」或いは「そういう空気の中で育ってきたか」のどっちかだと思う。

彼女に限らずおそらくは後者のほうが要因としては大きいのではないか。こと日本人は、「つらい」とか弱音を吐くことを「甘え」と捉える風潮が未だに根強いからねえ。

けど、つらくて何が悪い、弱音を吐いて何が悪いって話だ。

人生時にはそうして歯を食いしばって耐えなければならない時もあるだろう。しかしそれは、本当に必要な時にしか訪れないはずだし、自分でその時がわかっていれば、そこまでつらいとは思わないはずだし、逃げようとも思わないはずだ。

でも自殺するほど追い込まれている人は、本質的には「逃げたくてしょうがない」はずだろう。でも「逃げたいけど逃げられない」って思っちゃってるから、最終的に思考停止して「生きることから逃げる」という行動に繋がっちゃうんだよ。

つまり「自殺=つらいことからの逃避」ではなく、「生きることからの逃避」であり「放棄」にほかならない。

なんかここまで書いて熱くなりすぎて考えがまとまらなくなってきたのでこのへんでやめておくことにする。過去に、こうした「逃避正当論」について、我ながら結構うまくまとめた記事があるので、そちらを参照されたし。要するに、言いたいことは既にここで大半書いてしまっていたってことだ。

※関連過去ログ
隷属する「忍耐力」なんて不要。「逃げる勇気」と知恵を持て。 – 2016.12.19 Monday

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です